”遠い森”で書くことが終わった....(と思う)ようやく峠にさしかかった。まだまだ道はつづくけれど.....。わかっただけでいい....もう語らなくてもなにもしなくてもいい....といふやうな気持ちになってゐる。...と突然旧仮名つかひになったりする。
読むひとにはわからないだろうと思うが、わたしには大きな発見があった。ひとつは自分の行動パターンがわかったのである。わたしは頑固で、完璧に近いところまで納得しないと行動できない厄介な性格なのだ。すこしでも不安や腑に落ちないことがあると動けない、だが動き出すとめっぽう早くとくに短期決戦は驚異的な力を発揮する。しかしこのミラクルパワーも反対に働く力の大きさに比べたら焼け石に水なのだ。
じつは一昨日失くした会社の実印とゴム印が出てきた。そろそろ出てくるころあいかと思ってはいた、というのは前日銀行の担当者がいい話を持ってきたからだった。わたしは今年、3月と5月、二回実印をなくした。二回とも借り換えの直前だった。....よりによってこんな大切なとき、.なぜだろうと考えていて、ふと気がついたのは、”こんな大切なとき”だからではないか...?という逆説的発想だった。.....わたしは本音は借りたくない、借り換えをしたくなかったのだ....と気づいたのだ。それだから印鑑はなくなる或いはあえて置いた場所を忘れるのである。
一回そこに気がつくとリトマス試験紙みたいにあきらかだった。やりたくないときは徹底的に反応する。書類を出さない。書類はなくなる。印鑑はなくなる、印鑑証明のカードもなくなる。なぜ遅刻するか、なんらかの行きたくない理由がある。わたしは相当腹が据わっているように見えるが、それは相手が箸にも棒にもかからない連中か、人種が違うか......つまりアカの他人で傷つきそうもない相手のときである。ヤクザだろうが大企業の役員だろうがそんなに怖くない。
だが、たとえばNPO法人化の細則を決める日は行きたくなかった。会のために会員のために必要ではあるが、慣習と人情と理想のはざまで葛藤するのは心が萎えているときはしんどい。それで結局駅の駐車場で車のなかで悶々として崩折れたのである。これは後々響いた。それだったら最初から本音で生きればいい、できないことには手をつけなければよいのだが、自分の本音が見えていない。...つまり「為すべき自分」という命題があるからだろう。
自分ではそんな気持ちがあることは知りはしない、露ひとつ思ってもいない。行かなくては、会合に出なくては......だけど車のカギがない。招待状を出さなくては......でも名簿が、インクが。ユングのアーキタイプでいえば、ペルソナだろうか。どちらが正義か陰謀か....自分でそれと知らずひとり二役或いはひとり何役かの芝居をしていたようなもの、疲れるわけである。
「かっこつけるんじゃない、本音で生きなさい」と子どもにはいいながらさっぱりしないやり方をしてきたものだ。しかし、こうして自分の情けない癖がわかった以上 いままで通りというわけではないだろう。もっとこざっぱり生きられるだろう、はなからできないものはやらない、頭から奈落に突っ込むような今までさんざんしてきたおバカな真似はしないですむだろうと口笛でも吹きたいくらいの気分である。
もうひとつはあたらしい可能性が見えた!!という発見。だれもやってないことをやってみようという興奮。18日に江戸川さんのセッションがあるので、これがほんものかどうか明らかになりそう。クナウカの役者さんの語りの会を聞きに行ったり、トマスメソッドのワークショップがはじまったりM先生のカルチャーもはじまるし、アルフィーさんと旅行の約束があるしで堰を切ったように山崩れのように一気に動き出した。
韻、響き、イメージ、”遠い森”で終わりのほうに書いたことは今後の課題でもあって、この夏 わたしが参加しようとするさまざまなことは、発声という生命と密接にかかわる魅惑的な謎、芸能という....わが身を松明にしてかがり火をあかあかと天に立ちのぼらせるにひとしい....心臓が震えるような試みにつながる....はしっこでもいい掴みたいと思う。
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